2012年1月 8日 (日)

故人の責任の追及のないニッポン・・・死んだら仏になるので

     

尼崎脱線事故について、JR西日本の経営幹部の責任が裁判所で問われている。

もちろんなにがしかの責任はあるでしょうよ。しかし、あの事故の主たる責任者は、誰が何と言おうと、運転「士」だっ。

私は確たる証拠を持っているわけではないが、あの事故は明らかに典型的ないねむり運転だ。前の駅の停車位置が少し行き過ぎて止まった、と言う。ここでちょっと眠って、はっとして気が付きかろうじて止まったのだ。その後運転を継続し更に眠ったのだ。

スピードが出すぎて気づいたときはもう遅く、たまたま急カーブで、もうそのときは制御不能で脱線、まっすぐ民家に突入したのだ。

かなり前のことだが、私はカーブの多い山道で車の運転をしていた。前を行く車が妙にふらふら動く。カーブに来ると、ハッとしたようにちょっとまともに走る。これを繰り返していた。明らかな居眠り運転だ。危ない。私はチャンスをみて追い越したが、その後、その車がどうなったか知らない。

本人が死んでいるので責任追及は無意味だ、というのであろうが責任はともかく、なぜそんなにスピードを出したのか原因をはっきりさせなければダメッ。はっきりさせなければ同じことがまた起こりますよ。

全てを機械にまかせることなど無意味だ。何のための運転「士」か?と言いたい。責任を明確にしなければ、ある意味で運転「士」の存在意義を否定することになる、と思うのだ。これは運転「士」のプライドにもかかわる。

彼は、前夜どういう生活をしたのか?事故直後、ご家族はマスコミから遮断され、はっきりしない、との事。しかし、これは、はっきりさせるべきだ。ウソをついてはいけませんよ。個人の生活管理責任だ。運転「士」たるもの、職務の前日には節制を心がける、という責任がある。職務規律の問題だ。原因を追究されると都合の悪い何らかの団体が故意に隠そうとしているのではないか?

日本航空の御巣鷹山の事故も、大量の死者がでた事については、私は機長にも一端の責任がある、と思うのだ。まっすぐ進んで海上への不時着水をする早めの決断をする責任が機長にはあったのだ。この時も彼が死んで仏になったので、何ら責任は議論されなかった。

今回も、本人が死んで全くその原因が議論されていない。こんなことでは本当の原因がうやむやになり、また、同様の事がおこりますよ。今回の事故で死んだ多数の犠牲者は浮かばれないことになる。

                          (了)

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2011年12月24日 (土)

日本に、アメリカ車の輸入の数量割り当てを御希望?

    

ちょっと早すぎませんか?せっかく、なぜかニュージーランドやチリなどが遠回しに日本のTPP交渉参加をうながしているのに。

伝えられるところでは、TPP交渉をめぐり、全米商工会議所のなんとか氏が、日本にアメリカ車の市場開放を望み、輸入数量の割り当てを望んでいる、という。日本がアメリカ車の輸入制限をしているとは初耳だ。知りませんでした。本当なら、TPPを待つまでもなく、すぐ日本は輸入制限を撤廃すべきだ。

もし、違うなら、しかるべき日本の機関は即座に、日本はアメリカ車の輸入制限などしていない、現行のアメリカ車を買う日本人が少ないので、売りたければ市場調査しろ、と言うべきだ。

アメリカ人は率直だ。自分の主張を最大限に言う。それが理にかなっていようがいまいが、とにかく言ってだめでも、ダメモトというわけだ。相手が何も言わなければ、正しいと認めた、ということになる。多民族国家だから良い悪いでなく、そういう行動様式なのだ。悪意は全くなく、当然と思っている。

それとも、日本人が知らされていないだけで、実は何らかの事情で日本政府は輸入制限してました、などと言うのではないでしょうね?日本も、そういうことをやりかねないんですね。50年前の密約がそのまま生きていた、などと。当時自動車の輸入自由化で日本の自動車会社は壊滅する、と心配されていた。フォードによるトヨタの買収、などがうわさされていた。

私はてっきり、狭い日本で使いやすく、燃費も良い、低公害なアメリカ車がなく、日本仕様の右ハンドルの車も作りたがらないので、日本では一部の好事家以外は買わないのだ、とばかり思っていた。

それともあるいは、この人は、アメリカ車が最上でありそれが売れないのは日本で輸入制限をしているから、と本気で思っているのかも知れない。いや、それくらい大国アメリカの民は日本を知らないのだ。であれば、よけいこの機会に日本の状況を知らしめるべきだ。黙っているのは双方にとって良くない。

更にそれとも、コメの輸入制限を撤廃させる取引材料に、早くも先手を打ったのだろうか?

ここで、北朝鮮脱北のさる高官の言葉を思い起す。

故金正日氏は、常に大国にはさまれた小国の生きるすべを心配していた、という。アメリカを恐れていたのだ。独立を維持するためには、核兵器とミサイル開発以外にない、という。

アメリカの軍門に下った日本が、その後どうなったかを見て、思い知ったに違いない。

こう考えれば、彼のアメリカ重視、日本見下しも、納得がゆく。国際社会の常識に反する北朝鮮の核兵器へのこだわりは、ちょっとやそっとではなくならない。

アメリカそして日本までもが、大国の持つ強制力を何ら意識していないのだ。

                     (了)

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2011年12月20日 (火)

金正日氏、本当に心筋梗塞で?

   

  あの国の報道をそのまま信じていいんですか?

過去に何回も暗殺未遂があったと言われる国で、独裁者が突然死したにしてはあまりにその後整然としているように思える。

なぜか数か月もテレビに出てこなかった北朝鮮中央テレビの看板女子アナ?のおばさんも、ひさびさにその元気なパフォーマンスを感動的に披露してくれた。私には、彼女はむしろはればれと嬉しそうに見えたのである。

金正日氏は本当に心筋梗塞が原因で死んだのだろうか?ま、彼の伝えられている健康状態では極めて自然ではある。しかし、事後の措置の計画を充分ねったうえで、誰かがわきでちょいとやったのではないか?ま、今となってはあまり重要性のないことではあるが。

伝えられるところでは、金正日氏の妹婿が、相当冷静で頭がきれ、かつ外に出るようなバカなことをしない人物である、とか。この人がとりあえず裏でうまくやって時間をかせぎ、その後正当なしかるべき人物を頭にもってくるといいが。

希望を言えば、北朝鮮が中国的な改革開放政策を進め、拉致問題は金正日氏の責任だったと片を付けて、日本からの経済援助を取り付け、経済を正常化することだ。

北朝鮮の人々だってバカじゃない。案外うまくやるかも。

                        (了)

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2011年12月19日 (月)

EUは即刻、ギリシャをEUから除名せよ

  

      ギリシャ危機というよりEU危機じゃないか

現行のEUの金融危機は、ギリシャの財政危機がきっかけだが、それを適切に止めることのできないEUの組織上の欠陥から生じたものと考えられる。この問題を解決せず、日本その他の国に財政負担を強いてもらっても、これに応ずることは絶対にできない。

仮に応じたとして、根本的解決にはならず、追加の負担を更に要請されるのみと思われる。いわば、金をどぶに捨てるようなモノだ。

ドイツのみでなく、日本も、我々納税者がその少なからない負担を強いられるのだ。

原因はEUにある。まだ、サブプライム・ローンの不良債権さえ、残っており、これが隠されている、と言うではないか。まず、EU域内で自ら問題解決をすることを望む。

EUの組織上の欠陥とは何か。

財政は国家単位でありながら、金融は単一通貨のユーロにしばられている。だから一国の財政が原因で生じたEU域内の金融問題を、EU単一通貨ゆえに、金融により解決できない。

じゃ、どうするか。答えは簡単明瞭なのだ。EUからのギリシャ切り離しだ。

もし、ギリシャ経済が旧ドラクマ単位で行なわれていたなら、ギリシャの財政悪化に応じてドラクマの価値が下落し、それにより国外へ労賃を安く提供できるようになり、ギリシャ人は働くことにより、経済を立て直すチャンスが与えられる。できるかどうかは、自分たちの責任だ。

こうして、結局財政危機は自動的に解決される。

本来は、ギリシャ政府の財政赤字隠しが明らかになった時、即座にギリシャのEU加盟を取り消すべきだったのだ。これを決断し実行する政治家がEUにいなかったのだ。

財政破綻が明らかになった今・・・すなわち、EU加盟の他国が無償の財政援助を要求されることとなった今、ギリシャのEU加盟を取り消せっ。今からでも遅くない。

いくらギリシャが過去にヨーロッパ文明の発祥の地であったとしても、現在の世界経済を救う方が先決だ。

                     (了)  

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2011年11月23日 (水)

太陽と地球、月と地球、の距離の因果関係・・・金環日食とやらで

 

来年、5月21日には、晴れていれば東京でも金環日食が見られるという。私の知っているのは、礼文島で金環蝕がみられたときで、私は小学生であった。東京でも部分蝕が見られ、私は所有しているオモチャの顕微鏡のプレパラートに、ローソクのすすをつけて、見た記憶がある。

当時は停電があり、ローソクは必需品であった。

私は、かねてより、太陽と地球、月と地球、の距離には因果関係がある、とにらんでいる。

ま、みなさんは勝手にしなさい、と言うだろうが。

見かけ上、太陽と月の大きさはほぼおなじだ。実際の直系の差は400倍あるが、距離の差もまた、400倍あり、結局見かけはおなじ大きさだ。通説ではこれは全くの偶然で何の因果関係もないことになっている。月は、初めの位置より次第に地球から遠ざかりつつあるという。さすれば、ちょうど距離の差が400倍になったところで、地球上に人類が発生したわけだ。

問題は、皆既日食のときと金環蝕の時があることだ、月が少し地球に近いときは、月が大きく見えて皆既日食になり、遠いときは月が小さく見えて金環蝕になる。

どうも、一定の距離を中心にして、距離が均衡しているのではないか、と思われるのだ。あんた、経済学かぶれで、そんなことを言うのでは?とおっしゃることと思うが、そうかもしれない。だが、何らかの数式によりその因果関係が証明されれば、素敵なことじゃあありませんか?殺伐としたこの現代で。

                               (了)

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2011年11月12日 (土)

TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加とやら、残念っ!

 

TPP(環太平洋経済連携協定)は、いろいろ言われているところでは、アメリカがらみのうさんくさい協定に思える。結局のところ、日本はアメリカの属国まがいの色彩がいよいよ濃くなるのでは?と危惧される。

本来であれば、この種の協定には、なにも加入を急がされる理由など何もない。問題があれば国内でじっくり議論すれば良いことだ。また、関税の原則撤廃のみの協定なら経済上大いに結構なことだ。もともとは、シンガポールを中心とした東南アジア、アセアンのみの協定であったはずだ。

日本が加入の決定が急がされるいわれはない。

ところが、アメリカ・なかんずくオバマ政権が、輸出倍増計画で雇用増大を拙速で謀ろう、という魂胆から、始めた?というのだ。日本を巻き込めば、効果は絶大だ。また、日本は、何を決めるのにも時間がかかり、もたつくので、あらゆる機関を動員して日本を動かそう、かつ、アメリカ主導である印象を最小限におさえようという意図のもとに、計画されたモノではないか、と想像される。

理屈だけでいえば、協定は中国を忘れてはいませんか?というべきだ。中国の方がはるかに経済上効果的と考えられる。

しかし、中国は政治体制がこの協定とは相いれず、アメリカ主導のこの協定と相いれない。だからこそ逆に、中国を考えれば日本は入らざるを得ない。残念っ。

もし、TPPなるものが、関係国の輸入関税をゼロにするだけというだけなら、日本にとって好ましい。なぜなら、農業その他の日本の硬直した社会制度に風穴をあけ、単に貿易のみでなく、日本国内の産業、経済にとって、極めて有益と考えられる。

交渉によって条件を変えることが可能、というなら、どのような条件が提示されても本来問題はない。日本人が、交渉事ににがてなことに、問題がある。もっと、柔軟に考え、こちらの要望をきたんなく提示し、強く主張できればよい。

どうも、日本人はアメリカ人を誤解しているようにも思える。日本では、相手の立場を慮ってモノをいうくせがある。また、相手に対してもコレを期待する。これが良くない。自分の立場のみを、感情をまじえず理論的に、率直に説明してはじめて、アメリカ人に信用されるのだ。コレがわかっていない。すぐ、相手が善意かどうか、考えてしまう。そして感情的になる。こんなことではダメだ。

交渉がまずいと、ただでさえ属国まがいの日本は、ますます、アメリカの陣営にとりこまれ、中国に対し、どういう立場をとるかさえ、規制されてしまいかねない。

もっとも、じゃ、アメリカから離れて独立でできるの?と問われれば、できない、というしかない。中国につく、など到底むり。

ま、こうなったらあいまいなたまむし色のことは言わず、鋭意日本の立場を交渉の場で主張することだ。

                   (了)

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2011年11月 4日 (金)

再臨界とやらでなくてよかった

 

再臨界とやらでなくてよかった。なんせ、再臨界とやらなら制御されていないわけで、事実上の原爆ですから。

今回は原子核の自然崩壊の一種、自発核分裂とのこと。自発核分裂なんて言葉、初めて知りましたよ。

文科系風に言えば:

原子核は、主として陽子と中性子から構成されている。その他雑多な中間子などというものもあるようだが、質量からいえばたいしたものではない。中性子は陽子と電子がくっついたものだ。

このうち、陽子の数が原子核にまとわりつくべき電子の数を決める。安定するのは当然、陽子と同数だ。そんなことで、この陽子の数でその物質の化け学的性質が決まる。そこで便宜上、陽子の数でその物質を分類し、その名前をつける。中性子のみ多かったり少なかったりした場合、その物質の同位元素と呼ぶ。

原子核中の、自然の状態で安定する陽子の数と中性子の数の割合は一定であり、これ以外の割合では安定が悪く、安定的な割合の物質になるまで、中の構成物質を外に放り投げて他の物質に変わる。今回は一部構成物質の放り投げでなく、核分裂をしたという。他からの中性子による破壊ではなく、安定するためいわば自己都合で核分裂をした。この時、核分裂特有のキセノンを生じた。これはよそに中性子を飛ばしたとしても、これに誘発されて核分裂する物質が隣に存在する確率が極めて少なく、したがって連鎖反応は続かず、一回限りで終わる。

これらの過程で、陽子を放り投げれば放射線のアルファー線を、電子を放り投げればベータ―線を、その他随時波長の極めて短い電磁波、ガンマー線などを出す。こいつらが生物の遺伝子を変え、細胞がその後分裂する際、なにかと障害を起こす。

陽子と中性子の数の割合が、安定の割合になったところで、放り投げは止んで安定な物質になる。ウランの場合多くは鉛などだ。実は天然の物質は主としてこの安定状態の物質からなっているわけだ。

これが自然崩壊だ。今回はこの、変遷の一環として、まれなことだが意外にも不活性気体のキセノンが現れた、という。キセノンランプなどというモノがある。

ま、よかった、よかった。

                       (了)

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2011年11月 3日 (木)

本当に再臨界なの?

 

原爆同様の核分裂反応が再開し始めた、すわ再臨界か?とおおさわぎ。本当かっ?

格納していた容器が熱で破損し、核燃料が鍋の底に溜って、これが熱で溶けだすと重力の法則に従い、重さで同一種類の物質ごとにたまる。そのなかで、まだ、核分裂していなかったウラン235が一定の容量に達すると、これが宇宙線などの照射の引き金により、核分裂の連鎖反応を起こすことが考えられる。再臨界などと、当たり障りのない言葉を使っているが、制御されていないわけだから、原爆だっ。

ま、量が限られていたので爆発とまでは行かなかった、ということなのだろうか。

素人考えだが、違うんではないか? 

発表によれば、廃棄物の温度は事故直後から相当下がっているはず。今さら新たに燃料が融け始めた、とは思えない。

核分裂反応は、いわば核の破壊だ。ガラスを割ったようにめちゃくちゃに壊れた状態だ。おおざっぱに、多く出るもの少ないものが知られているにすぎず、原子核の自然崩壊の一環でたまたまあまり例のないキセノンが、経過的に出てきたのでは?と、希望的観測をしたい。

もし、本当に現在も燃料が融け続けているなら、原子爆発の危険があるので、ただちに原爆の及ぶ想定の範囲内の人々の避難が必要だ。

大丈夫かっ?

                      (了)

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2011年10月19日 (水)

なんとかならないか、この感情論っ!

  

なんとかならないだろうか、日本人の原子力発電所反対の感情的反発!

確かに、福島原発の事故の影響は深刻だ。しかし、原因ははっきりしている。原子力発電にあるのではなく、東京電力()のずさんな発電所の設定および運営にある。津波が来た時の補助電源装置の位置が不適切だったのである。これを正しさえすれば何ら問題はない。

話をいろいろ総合するに、東京電力は、全く津波の危険性を考えていなかったようだ。リアス式海岸にあるわけではないので津波はありえず、満潮やせいぜい大潮の時しか考えていなかった、という。想定外というのは、津波の想定さえしていなかった、という意味だろう。

アメリカの製品提供者、G・Eのものをそのまま、あてがいぶちに設置し、その後、関係者から指摘された問題点があっても、なまじ補修工事などすると、地元が不安がるとか、許可を出した国側のメンツをつぶすとまずい、とか考えた、という。いかにも、日本人的な発想の欠点をさらした。

これらは原子炉本来の持つ危険性とは、何ら関係のない、いわば経営組織の問題だ。

もちろん、原子力発電所設置につき、不明朗な介在者や、関係者のなれあいによる不正なキャンペーンもあったことだろう。しかし、これらも原子力発電所の危険性そのものには関係がない。是正すればすむことだ。日本人特有の感情にとらわれた反対論の方がはるかに問題だ。単純な感情に訴えるマスコミも悪い。

こう考えれば、他の原子力発電所に対する反対はすじちがいなのである。現に津波の影響をモロに受けた、東北電力の女川原発はなんの問題もなかった。それにもかかわらず、これも止めた。・・・バカか。

他の原発も、津波の被害が予想されながらその対策に不明な点のある浜岡原発を除き、通常の運営にはなんら危険性はない。今までだってやってきたことだ。

絶対に安全とは言いませんよ。しかし、適切な注意さえはらえば、なんら心配するものではない。つまらない感情にとらわれて、この素晴らしい文明の利器を捨てるとはなにごとかっ。

原子力発電のなにがすばらしいって?

くろよん・・・黒部川第四発電所へ行ったことがありますか?あの壮大な建設物がいかに艱難辛苦の結果できたことか。なにせ日本列島を割る大断層・・・フォッサマグナ・・・をぶちぬいて、建設資材運搬用のトンネルを掘ったのだ。これが困難を極めた。建設を決断した当時の関西電力()社長の太田垣氏は、この計画の成否に社運をかけた。失敗は会社の存続にまで影響する、と当時考えられていた。某放送局のプログラムにも、その成功が感動的にうたわれている。

この壮大な発電所一式の発電量が33万キロワットですよ。福島第一発電所の四基のうちの一基の発電機の出力が100万キロワットだから、その3分の一です。そのくらい原発は素晴らしい。

それから、放射性廃棄物である。皆、これを全く誤解している。その廃棄処理に莫大なコストがかかる、と騒いでいる。廃棄などとんでもない。将来は、宝の山ですよ。

あれは、技術が未熟だから、まだごくわずかな一部からしかエネルギーを取り出していないモノなのだ。プルトニュームは危険な物質だが、コントロールしさえすれば桁違いのエネルギーが取り出せる。廃棄物からはエネルギーを取り出しつくせば、なんら害のない物質、多くは鉛などになるのだ。これが究極の廃棄物処理だ。なにも無理して地中深く掘って捨てることはない。

利用技術の完成は、難しい仕事ではあるが時間の問題だと思う。今に見ていてごらんなさい、世界各国が今、捨てるに窮している放射性廃棄物は、そのうち貴重なエネルギー資源となる。

そこまでゆかなくとも、放射線をだすかぎり廃棄物は小型の発電装置として利用できる。現在、高価ではあるが、例えば人工衛星用の電源とか、心臓のペースメーカー用の電源として利用されている。それを無理やり冷やしてエネルギーを無にしているんです。全く誤解もはなはだしい。

私は、しかし原子力発電推進派ではない、どうしても止めたければ、おろかなことだが止めればよい。膨大なコストをかけ、原子炉全てを廃炉にして安心を買う、という選択肢もありうる。

そのあと、「核融合反応炉」という分野が待っている。水爆の原理だ。ただし、これは水爆と違って起動に原爆を使わないので放射性廃棄物は生じない。

水素の分子を結合させ、ヘリュウムにして、その時、水素単体の時に必要とされるエネルギーとヘリュウムを構成するときに必要とされるエネルギーとの差額を取り出す。これが膨大なんだ、とか。

まず、核融合にじゃまな、水素原子核にまとわりつく電子を除いて核をはだかにするため、超高温高圧にしてプラズマ状態にする。そこまでは良いが、更になだめたりすかしたりして水素の原子核を結合させる必要があり、これが難しいんだとか。

今度は失敗すれば、水爆だ。けちな水素爆発とは違いますょ。

ま、私の尊敬する歴史小説家、伊沢センセイ流に言えば、日本人の持つ非論理性は「ことだま」が原因だというが、私が思うにそれ以前の単に幼稚である理由による。すなわち、単なる感情論だっ。

                             (了)

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2011年10月14日 (金)

乗合バスのお客さんへ・・・「バスは電車と違う」

   

「バスは電車と違う」と強調したい。

どこが?・・・と言って、急停車した時の立っている客の危険性だ。

国土交通省が、最近、バスの車内に「なくそう、バス車内での転倒」というポスターを出した。まったくその通りで、バスが急停車した時、ものすごく危険だ。立っていた客が全員床に叩き付けられたように倒れたのを見たことがある。私は、座っていたのでなんともなかったが、その時はたまたま、若い人が大部分で、けが人がなかったのは奇跡としか言いようがない。それほど倒れ方がはげしかった。国土交通省のポスターには、老女がひっくり返っているイラストがあるが、これはけしておおげさではない。これと同様な倒れ方だった。車内は正にあびきょうかんのさわぎ。実は女子生徒が多かったのだ。紺色の制服の中に、白い足、不謹慎ながら、床に大根をばらまいた様相を呈した。

電車ではそんな経験はない。バスの車内での危険性はいくら強調しても強調しすぎることはない。

国土交通省のポスターの言うことはまさにその通り、特に老人があぶない。しかし、このポスターには重要な点がぬけている。そのため、インパクトがない。これでは老人は、のほほんとして、相変わらず席が空いていても立っている者が多い。

つまり、「電車と違って」立っていることが危険なのだ。この点を強調してほしい。私の経験では、電車は自分の路線上を走っているためだろうか、ブレーキをかけてもたいしたことはない。しかし、バスはこの点で、根本的に異なる。客は完全に、すっころがる。この時、老人だったら確実に骨をやられるにちがいない。

ま、老人の皆さん、席があったら積極的にすわろう。立っていたら疲れるから、などという問題ではない。危ないのだ。

                      (了)

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