故人の責任の追及のないニッポン・・・死んだら仏になるので
尼崎脱線事故について、JR西日本の経営幹部の責任が裁判所で問われている。
もちろんなにがしかの責任はあるでしょうよ。しかし、あの事故の主たる責任者は、誰が何と言おうと、運転「士」だっ。
私は確たる証拠を持っているわけではないが、あの事故は明らかに典型的ないねむり運転だ。前の駅の停車位置が少し行き過ぎて止まった、と言う。ここでちょっと眠って、はっとして気が付きかろうじて止まったのだ。その後運転を継続し更に眠ったのだ。
スピードが出すぎて気づいたときはもう遅く、たまたま急カーブで、もうそのときは制御不能で脱線、まっすぐ民家に突入したのだ。
かなり前のことだが、私はカーブの多い山道で車の運転をしていた。前を行く車が妙にふらふら動く。カーブに来ると、ハッとしたようにちょっとまともに走る。これを繰り返していた。明らかな居眠り運転だ。危ない。私はチャンスをみて追い越したが、その後、その車がどうなったか知らない。
本人が死んでいるので責任追及は無意味だ、というのであろうが責任はともかく、なぜそんなにスピードを出したのか原因をはっきりさせなければダメッ。はっきりさせなければ同じことがまた起こりますよ。
全てを機械にまかせることなど無意味だ。何のための運転「士」か?と言いたい。責任を明確にしなければ、ある意味で運転「士」の存在意義を否定することになる、と思うのだ。これは運転「士」のプライドにもかかわる。
彼は、前夜どういう生活をしたのか?事故直後、ご家族はマスコミから遮断され、はっきりしない、との事。しかし、これは、はっきりさせるべきだ。ウソをついてはいけませんよ。個人の生活管理責任だ。運転「士」たるもの、職務の前日には節制を心がける、という責任がある。職務規律の問題だ。原因を追究されると都合の悪い何らかの団体が故意に隠そうとしているのではないか?
日本航空の御巣鷹山の事故も、大量の死者がでた事については、私は機長にも一端の責任がある、と思うのだ。まっすぐ進んで海上への不時着水をする早めの決断をする責任が機長にはあったのだ。この時も彼が死んで仏になったので、何ら責任は議論されなかった。
今回も、本人が死んで全くその原因が議論されていない。こんなことでは本当の原因がうやむやになり、また、同様の事がおこりますよ。今回の事故で死んだ多数の犠牲者は浮かばれないことになる。
(了)
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